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押尾学をニュースで見て

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2010年 9月24日(金)20時46分14秒
  頭に浮かんできたこと・・。

「友達に千円盗まれたから十円盗み返した。どんな事情があっても同じ泥棒。」
 
 

金縛り

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2007年 9月17日(月)20時12分34秒
  子供の頃に母親に自分が子供として認めてもらっていないと感じて
大きな不安があった頃に何度か金縛りを体験した。

ある時、自分が子供だったと母親に認められていると感じるでき
ごとがあって、凄く安心したことがあったけどそれ以来金縛りは
無くなった。

俺の場合は、安心感が金縛りから解放してくれたみたいだけど
ちょっと前に見たテレビで「除霊してもらてから金縛りにな
らなくなった」みたいに聞いたけたどこれも除霊してもらった
ことで安心感があったように感じたな。

除霊のお陰で金縛りがなくなったのか、安心感で無くなったのかは
俺にはよくわからないけど安心感も関わってるような気がする。

反対に、不安はいろんな形で現れて来るんだろうな。
 

愛犬の死

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2007年 7月10日(火)16時44分57秒
  犬があげて食べないから獣医さんに見てもらったら肝臓病だと
言われて入院して点滴をしてもらっていたけ腸捻転してるみた
いで犬が苦しんでいると連絡があり、早急に手術をしてもらう
ことになったけど開いたら腸が壊死していてなんともならくて
すぐに亡くなりました。
13才でした。

家族それぞれに・・。

お嫁ちゃん
死んだ直後は、声を張り上げて大泣き。
「こんな悲しい思いをしなくちゃいけから2度と犬は飼わない。」
と言ってたな。

上の子(長男)
前のようには泣いていなかったけど犬の葬式の時には仕事を休む。
「この家で犬を飼うのは犬が可哀想。もう飼わない方がいい。」
とは、上の子の言葉だけどけっこう可愛がっていたお嫁ちゃんと
俺としてはあれ?
価値観の違いかな。

下の子
犬に相手にはなっていたが、あまり愛情があるようには思えなかった。
それが犬が死んだら涙をポロポロこぼして泣いていたのが不思議な
感じがしたな。
犬の葬式の日は会社を遅刻して出かけた。


俺って、冷たいのかな?
あまり悲しくなかったけど葬式の時はちょっぴり涙。

お嫁ちゃんの悲しみようが凄かったので「死は、スタートラインで
もあるし悲しむだけじゃおかしくない?」みたいなことを言ったら
お嫁ちゃんに言われた。
「そんなことは分かってるけど今は悲しいからしかたないでしょ。」
俺は、怒られた。

近況
犬に癒してもらっていた部分が大きかったみたいで
特に下の子が次の犬を欲しがってるし、元来、犬好きなお嫁ちゃんも
犬を飼いたくてしかたない様子。
新しい家族が増えるのも時間の問題みたいだ。
 

中日の日本シリーズ

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年11月 2日(木)07時17分33秒
  日本シリーズ前に中日の主力選手に話せるなら言いたかったな。
「過去に(過去の実績に)振り回されて自分を見失なわないで
下さい。」

過去の実績で、自分はこれぐらいの結果が出せて
当たり前みたいに思えばある程度の結果が必要に
なるし、その結果を出そうとすれば体が自然に緊張
しやすい。
つまりふだんの実力が出にくい状況が生まれると
思えたよ。
負けちゃったけどね。
 

「子育て」と「子育ち」

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年10月19日(木)22時27分27秒
  ○子育て
「これは、こういうものだからこしなさい」とか「あなたには
この服が似合うからこの服にしなさい」みたいに親主導で子供と
接すること、子供が転ばないように親が子供の前を歩くことかな。
ある意味でだけど親としては子供が転ばないから子育ての方が
楽かな。
できれば子供が泣いてる姿は見たくないもんな。

●子供の心が育ちにくいんだろう。

○子育ち
子供の主体性を大切にして(子供の言いなりになって我が儘にす
るという意味ではなく)、子供自身の考えで、子供自身の意志で
いろいろやってもらい体験を通して子供自身がいろんなことを学
ぶこと。
つまり子供の後ろから親が歩くことかな。
子供が転ぶことが多いと思えるし、親としては子供の辛い顔を
見ることはけっこう苦しい。

●子供自身が体験を通して自分の心を育てているんだろう。

たった一文字の違いだけど「て」と「ち」の違いは、大き
いみたいだ。
 

案ずるより産むが易し

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年 4月12日(水)07時03分20秒
  「案ずるより産むが易し」と言う言葉は、何かにぶつかって
みた時に出やすい言葉なんだろう。
裏を返せば、ぶつかってみないと出にくい言葉かな。
 

不登校の新聞記事

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年 2月18日(土)21時48分58秒
  不登校について書いてある本の事が書いてあった。
その中に・・。
「問題解決に原因究明はいらない。原因捜しは犯人捜しです。」
と書いてあったけど以前に不登校の親御さんと話していた
時、「原因を見つける必要はない」みたいことをよく聞いたけど
俺には納得できなかったけど、こういう意味での「原因究明はい
らない」だったんだ。

ちょっとわかりにくいや。
書くならこう書いて欲しかったな。
人を責める原因究明は必要ありませんがどう対処するかを
知るための原因究明は必要だと思います。

俺なりの責める必要がない理由。
例えば、親に思い違いがあったとして、自分が正しいと
信じて自分なりに一生懸命に子育てしきた人に結果があ
まりよくないと言って責めることなんてできないな。

マラソンの最終ランナーかな。
どんなに頑張っても結果が見えているのに、ふらふらになり
ながらもゴールを目指して走っている人を責められないように
一生懸命に子育てしてきた人を責めるなんてできないし、責
めるどころか拍手したいぐらいだな。

それに、誰でもだと思うけど結婚して子供ができて初めて親に
なるわけだから、親って失敗の違いはあっても誰しもが大なり
小なりの失敗はあると思うしね。
いい結果が出ていないと言って責めることなんて誰もできない
んじゃないかな。
大切なことは、その失敗からから何かを学び今に生かすことだと
俺は、思えるな。

後半に「家族の身の上に起きる多くの問題はいつも、
解決努力とセットです。問題が起きているのに、何もしない
のは少数で、みんな何かするのです。しかし残念ながら解決
しないので、問題として残るのです。こう考えると解決の為に
大切な情報は、何が原因かではなく、今まで何をしたかです。
すぐに上手くいかなかったことを繰り返す必用はありません。
・・・・・・・・・・」後略

と書いてありますが・・。
ここで、ちょっと疑問。
「何が原因かではなく、今まで何をしたかです。」この一文です。

原因を知る必用がないのに今まで何をしたかを知る必用が
どうしてあるのか?
今まで何をしたかを知るということは過去に子供にどう
接していたのかを知ることでもあると思うけど、俺には
原因を探しているように思えるし、「何が原因か・・」=
「今まで何をしたか」・・・言葉が違うけど原因を探し
ているように思えてしまうな。

過程(原因)があって結果だし、過程(原因)と結果は
一つだし、過程と結果を見なければ一つのものも見えてこない。
ということは、今まで何をしたかを知らなければ一つのことが
見えて来ないし、どう対処していいのかもわかりずらいん
じゃないかな。
 

与える喜び2

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年 2月14日(火)21時14分25秒
  ちょっと思ったことがあったから続きです。^^;

与える喜びを知ることは同時に一緒に仕事をすることで
一体感を得られると思えるし、必用とされることで
自分が生きている存在価値も得られるんだろうな。

ふと思ったけど、もし俺が手伝いをほとんどしたことがな
い子供だったとしたら一体感も得られないと思うし裏を
返せば孤独感が強くなっていくんだろうな。

自分の生きてる存在価値も得られないでいたとしたら、
自分でも気がつかないうちに少しづつ長い年月を経て
強い孤独感や自分の意識には関係なく心の奥から沸い
てくる思いは「どうして俺は生きるのか?」「どうして
俺は生きなければいけないのか?」「俺なんて生きてい
てもしかたないんじゃないか?」こんな思いが心の奥か
ら湧いてくるような気がしてならないや。

俺の生きようとする本能は無意識に自分が生きる理由
を探すような気がしてならないや。
 

与える喜び

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年 2月 9日(木)16時18分0秒
  これは、以前に書いたものです。
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「権利と義務」

「権利」と「義務」言葉を変えてみよっと・・。

権利・・権利を主張することって求めることでもあるし、求めることを
    裏返しに考えると与えられることかな。

義務・・例えば年金・・支払う義務があってお金を払うけど
    払うってことは与えることでもあるんだろうな。

ということは・・。
権利=与えられる
義務=与える

ある意味で「権利」と「義務」とは言葉を変えれば
「与えられる」と「与える」ことなんだろう。

権利は主張するけど義務ははたさない若者が多い
みたいだけど与えることを知らないんだろうな。
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じゃぁ、どしたら与える喜びを子どもたちに知って
もらうのか?

昔は、親が洗濯を洗濯板でやっていたころは、とても子供に
手がまわらなかったと思うし、それどころか生活して
いくには子供に家のことを手伝ってもらっていたんじゃ
ないかと思えるな。

家の手伝いとは、自分が労力を提供することだと思うけど
言葉を変えれば労力を与えることでもあるんだと思えたな。
ということは、子供は家の手伝いをすることで無意識に
与える喜びを学んでいたのかもしれない。

与える喜びを知らない子どもたちに与える喜びを知ってもら
うには俺ん家で言えば、店が忙しいときに無理して仕事を
頑張るのではなく、子どもたちに仕事を手伝って
もらうことなんだろうな。
「ちょっと忙しいから手伝ってほしい」みたいにね。

ただ、ポイントとして手伝ってもらったら子供達に
忘れないように言いたいな。
「ありがとう。助かったよ。」
人に感謝されれば人間、嫌だと思う人はあまりいないと
思うし、感謝されれば嬉しいものだしね。

え~っと「嬉しい」という言葉が出てきたけど
子供が労力を提供すること(与えることで)
喜びにもなるんだろうし、無意識に与える喜びを
学んでくれているような気がするな。
俺は、だけど・・。
 

子供に対する接し方の違い

 投稿者:みっちゃん  投稿日:2006年 1月12日(木)20時36分58秒
編集済
  隣り合わせの家にショートケーキが一個ずつ届きました。

Aさんの家では親子である前に対等な人間として子供に接していてお母さんは「ケーキを食べたい」と主張しました。
Aさんの子供は気がつきました。
○お母さんがケーキを食べたいことを
○お母さんがケーキを好きなことを

言葉を変えれば・・ある部分無意識に知ることができました。
○ぶつかってみることがどういうことなのかを
○ぶつかってみた先に何があるのかを

Bさんの家では、親子として接していて昔ながらのいい親のイメージ、つまり親がケーキを食べないで自分は我慢して子供にケーキをあげるいいお母さん。
「お母さんはいいからあなたが食べなさい」
子供は、美味しそうに食べました。
 

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