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(無題)

 投稿者:たけだ  投稿日:2010年10月17日(日)23時47分26秒
返信・引用
  生きてます生きてます  
 

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 9月17日(木)00時05分5秒
返信・引用
  わ、なんだかヤバイなあれだな  

(無題)

 投稿者:すぎもと  投稿日:2009年 8月 6日(木)03時08分53秒
返信・引用
  結局『ヘヴン』でなく、ジイド『狭き門』読み始めてしまったよん。
ちなみに『人形の家』は大好きな作品の一つになりました。読んでよかった。
 

(無題)

 投稿者:takeda  投稿日:2009年 8月 5日(水)01時28分46秒
返信・引用
  わーーーー本読みたい!けど明日のこと考えると!だめだけど読む!  

(無題)

 投稿者:すぎもと  投稿日:2009年 7月30日(木)00時59分48秒
返信・引用
  こんばんは。自分が読んでる本だけで手一杯なすぎもとです。
『ヘヴン』は今読んでるイプセン著「人形の家」が終わったら読もっかな。

『様々なる意匠』、とびとびで読み返してます。また書き込みますー、わー。
 

(無題)

 投稿者:おかべ  投稿日:2009年 7月29日(水)22時46分57秒
返信・引用
  『ヘヴン』どころか『1Q84』も『レワニワ』もまだ読んでないダメ学生でございます……。一応どれも買って手元にはあるんですけどね。

『様々なる意匠』、いまあらためて読んでます。冒頭のレトリックに躓き、話の筋道を幾度も見失い、そもそもこの作品の背景にある当時の文壇や意匠の内実も全然わからないし、とにかく読み終わってみれば小林が好き勝手に歩く「散歩」(136p)に無理やり付き合わされたという疲労感ばかりが残りました。
けれどそういった過程を通して、一番に浮かび上がってくるのは「小林秀雄」そのものなんですよね。彼が何に感動し、何に「批評の可能性」を見出し、何を優先するのか。山城先生風に言うなら、テキストを通して書いた人間の「面構え」が浮き出てくるような感じ。
小林本人が「批評とは対象をだしにして自分を語ることだ」と言っているけど、ここで語られているのはマルクス観念学でも親感覚派でもなく小林秀雄なのだな、と。
書かれている内容よりも、テキストから人物像が立ち上がってくるような、強烈な存在感にやられてしまう、そんな感覚があります。

個人的に一番のフックだったのは新潮文庫版で134pにあたる部分。

「諸君の脳中に於いてマルクス観念学なるものは、理論に貫かれた実践でもなく、実践に貫かれた理論でもなくなっているではないか。正に商品の一形態となって商品の魔術をふるっているではないか。商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行する時、それは立派な商品である」

たぶん僕なんかはこの作品内で書かれていることの9割近くも正確に理解できてはいないでしょうけど、それでもこの指摘は読んでいてヒヤリとする。「マルクス観念学」の部分に「決断主義」とか「ポストモダン」といった言葉に置き換えれば、それはそのまま僕への戒めの言葉となります……。
 

(無題)

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 7月29日(水)01時03分36秒
返信・引用
  吾々にとって幸福な事か不幸なことか知らないが、世に一つとして簡単に片付く問題はない。遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という吾々の思想の唯一の武器は、依然として昔乍らの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。而も、若し言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影に過ぎまい。  

地下組織的

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 7月26日(日)20時43分36秒
返信・引用
  もうだ~れもみていないのでしょうね。

でもあえて書きます。

川上未映子さんが寄稿した「ヘブン」
すごいですね。
群像売り切れって・・・。

みなさまよみましたか?
ブームを嫌って読まないのはおよしなさい。
世間の波に乗れないようじゃ、だめですよ。

流石に社会に出て(そう、就職したんですよ)東海大学に
行く時間がつくれない・・・からそごたまできないですけど
本は読んでますよ。ビジネス系が多かったりしますけど。

職に困ったら言ってくださいね。
何かお手伝いできれば、と思います。
 

(無題)

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 6月29日(月)23時24分38秒
返信・引用
  また沈黙・・・。
誰もかかないのかい!?
 

・・・

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 6月 7日(日)00時05分11秒
返信・引用
  ごめんなさい。遅れました・・・。
いいだしっぺが書かないとね・・・。
そりゃしめしがつかないってもんだ。
「様々なる意匠」について、書きます。少しだけ、時間がないので。

小林秀雄の語りっというのがすごくしみこんでくる感じがします。じわ~って。真骨頂みたいないわれ方をするのは、そういう感覚的なものに由来するのかもしれません。多くの人が小林秀雄を師としたり、神としたりするけど、すごさは分かるんだけど、まだ僕はその位置づけはできませんでした。ただ宮台さん的に言えば、感染動機ですよね。そういうよくわからないけどすごい、すごそうだ、という感じはあります。さらに小林秀雄の肉声ラブの僕はwとても、声的に読み取れてしまって、すごさと身近さの融合?が僕の中で起こっています。
と、内容に関しては一切ふれない。僕のコメント!
 

(無題)

 投稿者:かつやま  投稿日:2009年 6月 3日(水)22時34分42秒
返信・引用
  様々なる意匠は……も、もう少しお待ちください。

伊井先生の新作「ポケットの中のレワニワ」において、講談社のホームページに伊井先生のメッセージが掲載されています。

http://shop.kodansha.jp/bc/100/past/ii_index.html

読んだ方も読んでない方もぜひ。
 

連絡

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 5月25日(月)19時38分43秒
返信・引用
  http://sogotama.blog61.fc2.com/blog-entry-43.html

次回の作品を発表しました!!
 

時間たっちまった

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 5月25日(月)19時28分31秒
返信・引用
  この小説以前に、大人子供問題っていうのはあるね。書き分けるべきか、素直にかくべきか。
こんな子供いないっていうのは全部調べたわけではないから、いえないわけだし、その反対もある。これはすごく難しい問題。
あと、子供の発見、に関して言えば、近代発見された「思想」なわけで、古い小説にはどのような「子供」「少年」「少女」が描かれていたのかが、すごく気になります(調べます)
永遠を否定しいしない、ってうれしいな。僕がこどもだからかもしれないけど。
高橋留美子とかあだち充の話にも関係してくる、永遠の物語っていうのは、子供の(大人が思い出す子供として)の憧れなんじゃないかな。そういうの上手く描きなおしたりする押井守が売れたりするのはそういうほうが多いからだろうね。多さが正しさではないのでね。

岡部くんの「西の魔女」に行き着くところなんかわかる気がする。
僕は、「西の魔女」は、子供向けって感じがしないんだよね。
森さんは作品全部が子供、児童向けという感じがして、スタートラインが違う気がします。
 

夜が明けました……

 投稿者:おかべ  投稿日:2009年 5月23日(土)04時41分37秒
返信・引用
  おおっ、しばらく見なかったうちにずいぶん感想がたまってますね。今回は成功でしょうか?

そういえば、これを読んでいるあいだ奈緒と絹子先生の関係にどうも既視感を覚えて、色々考えた結果行き当たったのが梨木香歩の『西の魔女が死んだ』でした。どちらも似たような話で、『西の魔女』も栗原さんの言うところの生き方論的な終わり方をしているんですよね。
けど、それにしては読後の手触りが随分違っている。抽象的だけど、小説内の結論を現実にフィードバックすることが可能な『西の魔女』に比べて、どうもアンチョコは物語が一点に閉じすぎている気がする。未来への希望はあるけど、それが僕たちの日常と直結してないような感じ。それはこの話でピアノ教室以外の日常がほとんど書かれてないことも理由としてあるのかも……なんて独りよがりなことを考えてました。

あと竹田さんのメール見て思い出したんですけど、先月遅まきながら伊井先生の『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』を読んだんですよ。「世界は理解されなくてはならず、小説にはそれができる、と信じたい」と書かれたあの本と、きわめて現実感の希薄なアンチョコを強引に並べると、同じ世界のことを書いたはずなのに書き手の意識でこうも違うものが生まれるのかと、今さらながら素朴な驚きを感じますね。うん、やっぱり小説は面白い。

>みしろさん

桜庭一樹の言っていた「永遠を否定しない」というのは子供時代そのものというより、どちらかというと「どれだけ時が経っても変わらないもの(気持ちとか関係性とか)がある」ということを否定しない、ってなニュアンスでした。
アンチョコに当てはめて言えば「大人になったら木曜日のきらきらを永遠に終わらせない」という君絵の気持ちや、奈緒と君絵と先生の関係性の永続性を否定しない、ってことになるでしょうか? 僕は昔から自分にとって最良に思えるものはどれだけ状況が変わっても残っていてほしいと考えていたので、この手のお話でそれを否定されてしまうと若干寂しいですね。かといって真正面から肯定されても嘘くさく思えてしまうだけなので、その落としどころが難しいんですけど。
子供の感想が知りたいってのは感じました。主人公と同年代の子がどんな距離感でこの話を受け止めるのかは興味がありますね。またそれとは別に推薦者のすがいくんの考えも聞きたいところ。
 

 投稿者:みしる  投稿日:2009年 5月20日(水)21時42分59秒
返信・引用
   なんとなく思ったんですけど、果たして子供は「永遠」的なものをそこまで望んでいるのでしょうかね? 僕らは子供をそう見がちな気はするのですが、それって大人がそういう風に見ているだけなんじゃないかなー、などと思ってみたり。または大人が子供時代を永遠に繰り返したいだけとか。
 少なくとも僕は自分の子供時代にそんな印象はないです。そりゃ夏休みが終わらないで欲しいとか思ったことはありますけど、それは大人でも思いますよね。僕は小中学校の頃は学校も先生も勉強も死ぬほど嫌いでいつまでこれが続くんだろうって思ってました。どちらかというと子供時代そのものが「永遠」的なもので、終わりが見えない途方もないものでしたね。たぶん、当時の自分は「今の時間が永遠に続く」と言われたらとても嫌な気持ちになると思います。
 おかべさんが言っていた、桜庭一樹の「永遠を否定しない」ことが児童文学の大事な一要素なのだとしたら(大人がそういう風に見ているのだとしたら)、本当に子供はそれを喜べるのでしょうか。子供はアンチョコをどのように読むか気になりますね。確かめようがないですけどね。
 あ、アンチョコが児童文学なのかというのはいまいち確信は持てないのですが。児童文学って大人が決めてるんですよね?
 長文御免。子供について考えるの楽しいです。
 

Re: アンチョコ読みました

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 5月20日(水)10時21分53秒
返信・引用
  > No.38[元記事へ]

すぎもとさんへのお返事です。

> 遅ればせながら登場です、杉本です。

まあ、僕のように暇じゃない社会人は遅くていいんですよw
大学生は、せっかくやるってはじめたんだから参加して欲しかったので、しつこいくらいにメールしました。どうも。

> 子供の頃に意識はせずとも無意識に楽しい時間がずっと続くだろうという妙な思い込みがあったっけなぁ、そうしてその夢はいつもいつの間にか消え失せていったなぁとアンチョコを読んで思い出しました。小学校低学年の頃の話です。

自分の過去を思い出して書いたとしても、ここまでリアル(物語的な)に書けないと思う。ゆえに、これは作られた幼年期・少年期の形で、それが肌に合う合わないというのがあるのかな。入り込めない系の意見の人が多いけど。

>もの足りなさを感じてしまいました。逆に、もの足りなかったのは私自身の中学生時代の方なのかもしれませんが。

これは深いと思います。

書き込みありがとう!!
 

Re: 真打登場

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 5月20日(水)10時17分50秒
返信・引用
  > No.37[元記事へ]

ありがとう!!ほんとうに!みんなそろってきましたね。うれしいです。
僕は暇ですからね!ずっとPCの前にいるんですよw
自ら真打と言うところが、良いですね~。

> 実は私もあまり入り込めなかったというのが正直な感想です。

こう思った人がどうやら多いようです。感情移入っていうレベルなかのか、肌に合わなかったのか。
個人的には嫌いじゃないけど、ちょっと客観的にこう話なんだね~ふ~んって感じの立ち居地で読んでしまったそんな話なんだけど、みんはどう?

> 話が逸れましたね。

話が永遠に逸れてしまっていんですよ。それがそごたまなんですから!!
外れた先にだって道はあるし、なければ作りましょう。創作学科なんだかし。


> 私信>
> 竹田さんすみません。先週の金曜日大学いけませんでした><
> 今週寺田先生に話してみます。

了解しました!めんどくさい伝言を頼んで申し訳ないです。。。
 

アンチョコ読みました

 投稿者:すぎもと  投稿日:2009年 5月19日(火)23時43分57秒
返信・引用
  遅ればせながら登場です、杉本です。

子供の頃に意識はせずとも無意識に楽しい時間がずっと続くだろうという妙な思い込みがあったっけなぁ、そうしてその夢はいつもいつの間にか消え失せていったなぁとアンチョコを読んで思い出しました。小学校低学年の頃の話です。
ただ、自分が中学生の頃は自己嫌悪の塊でしたし、もう少し他人の目というものに怯えて生きていたものですから、親近感の湧かない話にも思われましたし、もの足りなさを感じてしまいました。逆に、もの足りなかったのは私自身の中学生時代の方なのかもしれませんが。

短くてすみません。とりあえず読んだ報告をしたかったのです。
またなんかあったら書き込みます
 

真打登場

 投稿者:くりはら  投稿日:2009年 5月19日(火)16時09分33秒
返信・引用
  遅くなってすみませんー。岡部君じゃない四年です。
女性の意見がほしいということで。
男性のみなさんはこの作品を、女性視点だからわからないのかも、という意見のようですが、
実は私もあまり入り込めなかったというのが正直な感想です。
私自身、この年頃を通過して今に至っているはずですし、ピアノ教室に通っていたんですけどね。そういえば教室でのクリスマスコンサートもやってたなあ。
でも、この作品を読んでも自分がこの年ごろだったころのことを思い出したりしないんですよね。どういうことでしょう。
その理由の一つに、リアリティを感じないというのがあるのかもしれません。
一人ひとりのキャラクターが典型的、というか、いかにも作られた役割を与えられていると感じ(大人に限らず……です)、物語であることを強く意識する。一度意識してしまったので、そのことに気をとられてしまって・・・。穿った読み方ですね。
でもそのキャラクターがよくできているとは思います。奈緒なんかはかなり素敵に描かれていると思いました。
「普通」であることにコンプレックスを持っている子で、でもセンスがいいんですよね。手作りのリースや洋服をつくるお母さんがいるっていうのもいいじゃあないですか。

話が逸れましたね。

森さんの作品は今回が初めてです。
とりあえずアーモンド入り~を読んでから他の収録作品を読みました。
共感という点で言えば、男の子の物語であるはずの「子供は眠る」のほうがよっぽどこの年代の頃のことを思い出しますね。
そう考えると、アーモンド入り~は別にリアリティを求めるものでもないのかな、とも思います。サティのおじさんも絹子先生も、あのピアノ教室もちょっと現実ばなれしてますしね。あの空間は児童文学的によくある(?)、「こんなのあったらいいな」という空想を描いたものかもしれません。
「女の子の楽園」という意見もありましたが、女の私からみても「楽園」であって、現実にはありえないパラダイスです。(森さんはこの年代の等身大の少女を描きたかったのかもしれませんけど)
奈緒の視点が妙に大人びているのが気になりますが。やっぱり書いてるのが大人だから仕方ないのか。

っていうか私が中学生の女の子の気持ちなんてもう忘れてるだけかもしれませんね。
自分が女の子だったのかもあやしいもんです(?)

生き方論みたいので終わってるから少女時代について考えたくなるけれど、そこに繋げるにはむりっぽい。というか私には難しかった。
そんな感想でした。



私信>
竹田さんすみません。先週の金曜日大学いけませんでした><
今週寺田先生に話してみます。
 

おそい!!

 投稿者:たけだ  投稿日:2009年 5月19日(火)01時32分22秒
返信・引用
  あの時かきこまなきゃいけませんね~。
でも、書き込んだ君は、成功するよ。有言実行だものね。えらい。ありがとう。さんきゅう。

女性作家の作品を取り上げることが多いそごたまだけども、森さんの作品に出てくる男のこは少し違った雰囲気を持ている気はしますね。

二年生も三年はいないのか・・・四年生も岡部君じゃない子がいたよな~Webに情報を残したくないとか言ってたけど・・・そんなこといわずにみんなで楽しくいこうーぜー。僕はもうキャラ崩壊してんだから、これ以上恥ずかしいことはないぞw
 

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